Huluドラマ『十角館の殺人』にフル活用されたインカメラVFXの可能性(後編)

2024年3月22日から配信開始となったHuluドラマ『十角館の殺人』。

その撮影で使用したインカメラVFXの技術について、監督の内片輝氏と、制作を支援したIMAGICAエンタテインメントメディアサービス(以下、Imagica EMS)の大澤宏二郎、塚元陽大の3者による対談企画。前編に続き、今回の後編では、本作で実際どのようにインカメラVFXが使われたのか、その裏側を語る。

【前編はこちら】Huluドラマ『十角館の殺人』にフル活用されたインカメラVFXの可能性


対談者

映画・ドラマ監督:内片輝氏
VFXプロデューサー:大澤宏二郎(株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス)
VFXスーパーバイザー:塚元陽大(株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス)

内片輝氏
Film Director 映画・ドラマ監督/プロデュース/
代表作:テレビ朝日『相棒』シリーズ・『棘の街』/フジテレビ『シグナル』/WOWOW『石の繭』殺人分析班シリーズ・『邪神の天秤』公安分析班シリーズ・『コールドケース』シリーズ・『密告はうたう』・『孤高のメス』など

物語の舞台「十角館」をインカメラVFXで再現

大澤:そもそも本作の撮影で監督がインカメラVFXの技術を採用しようと決めた一番の理由が、十角館を再現するためでしたよね。

内片:そうですね。十角館は原作小説の装丁にも描かれていて、まさに物語の舞台となる象徴的な建物なので、本作のなかでも必ず外観を映す必要がありました。実在しない建物をどうやって映像に収めるか…これまでの選択肢だと、舞台美術として実際に建てるか、グリーンバックで撮影してCG合成するかの2択でした。しかし、建てるのはコストも工期も莫大になりますし、撮影では天候にも左右されてしまいます。しかも、外観のカットは必ず必要である反面、実は必要なカット数はそれほど多くなかったんです。

一方、グリーンバックによる合成だと費用は抑えられますし撮影もしやすいですが、「いかにも合成」という違和感がどうしても出てしまう。コストとクオリティのバランスを考えて何が一番いいのか、Imagica EMSさんに相談して、大澤さんから提案してもらったのがインカメラVFXでした。自分自身のもともとの興味もあり、ぜひ挑戦してみたいと思いました。

LEDに映し出された十角館、LEDの手前には本物の生木を配置

車の走行シーンやナイトシーンでもインカメラVFXをフル活用。没入感が芝居にもたらす影響

大澤:監督から相談いただいてから本作の台本を読んだところ、車やバイクといった車両の走行シーンが多いことに気付き、これはインカメラVFXがハマるだろうとご提案させていただきました。

内片:僕もインカメラVFXが車両の走行シーンの撮影に有効らしいという話は聞いていたので、大澤さんの話を受けて、確かにちょうど良い機会だと捉えました。走行シーンを実際の道路で撮影する場合、道路の使用許可を取ったり、牽引車を手配したり、場合によってはスタントマンを用意したりと、準備がとても大変ですし、危険も伴います。それに、作品の時代性に合わない車両が映り込んでしまう場合もありますし、撮影の途中で車両が建物や木の影に差し掛かって一番美味しいところが暗いとか…コントロールしきれない問題も起きてしまう。本気でこだわり出すとかなり労力がかかるんです。だから、走行シーンを撮影するとき、僕は以前からスタジオ派でした。

大澤:今までは走行シーンを撮影する場合、スタジオでグリーンバック合成することが多かったですよね。

内片:そうですね。背景は撮影した風景を合成させるのが一般的ですが、それなりに大変なんです。

塚元:走行する車のシーンで実写の背景を合成させる場合、車は移動するのでパースを計算して撮影しないとマッチしませんし、素材をグレーディングで明るさ調整して背景に馴染ませるのも限界があります。

内片:そもそも本作は時代が1986年という設定だったので、当時の雰囲気の街中を実写で撮影すること自体不可能でした。また、今回は撮影プランがはっきりしていないうちに準備しなければならなかったので、フレキシビリティを考えるとアンリアルで調整できるインカメラVFXという方法が最もフィットしました。
大澤:今回は車両の走行シーンを実際にインカメラVFXで撮影してみて、いかがでしたか。手応えはあったんじゃないかと思いますが。

車走行シーンのカメラテスト
夜間の対向車とすれ違うシーンでは光源の動きを緻密に再現

内片:やはりグリーンバックとは明らかに違いますね。グリーンバックだと、たとえば、助手席側から運転席側にフォーカスのポジションが変わったら、背景もフォーカス移動の処理をする必要がありますが、処理がうまくいかないと合成っぽさが浮き彫りになります。
インカメラVFXでは、カメラのフォーカスの移り変わりと連動して背景のニュアンスも変わるので、フォーカスが手前の役者に合った瞬間、背景がジワっとボケるといった実写さながらの演出もできました。その美しさを活かそうと、カメラの移動ショットを意図的に増やしました。

実際の完成シーンを見ながら

それに、天井のLEDパネルで上空の景色を再現できることも、非常に魅力的でした。空の色や木の影が車のボンネットに映り込み、木陰のなかを抜けたときに役者の顔がパッと明るくなる…そんな演出がスタジオのなかでできてしまうとは…これは、素晴らしかったです。

天井のLEDパネルが車体に写り込むことで、よりリアリティが増す

先ほど(前編)インカメラVFXの課題として、照明との兼ね合いで「黒の再現が難しい」という話をしましたが、逆にナイトシーンは非常に相性が良かったです。

街灯のない薄暗い山道など、実写で撮影するとただ暗くて見づらい映像になってしまいます。かといって、照明を当てる場合、かなり計算しないと作為的な画に見えてしまう。今回も雨が降るナイトシーンがあったので、当然、設定としても月明かりはありませんしリアルの撮影では難易度が高いのです。

それが、インカメラVFXなら、ロケーションや明るさ、時間帯など、すべて理想的な背景をつくり、それを巨大なLEDパネルに映し出すことで、照明を抑えた状態でもリアルと完璧に馴染ませることができました。

大澤:本作は暗めのシーンが多かったので、その点でもインカメラVFXは効果的でしたね。現場にいてもスタジオの中とは思えないほどの没入感がありました。

内片:走行シーンの撮影中、背景の映像が流れているなかで助監督が車体の前に立ってカチンコを鳴らそうとするとき「危ない!轢かれる!」って、ドキッとするんですよ(笑)それくらい、我々スタッフも入り込んで撮影できました。

塚元:制作スタッフが現場で感じていたインカメラVFXの没入感は、おそらく演者さんも同じものを感じていましたよね。

内片:そうですね、そしてそれは確実に演技にも良い影響をもたらしたと思います。グリーンバックの場合、役者は何もないスタジオのなかで“想像力”を働かせて芝居をしなければなりません。僕が「向こうに十角館があることをイメージして、十角館を見つめながら演じてください」と伝えたとしても、5メートル先をイメージするのか、10メートル先をイメージするのか、人によって違いがあり、芝居がズレてしまいます。例えば、風が吹いて舞う落ち葉を数人が目線で追いかける、みたいな演出はグリーンバックではできなかったんです。

今回はLEDウォールに映し出されたリアルな背景のなかで、役者全員が同じものを見ながら作品の世界観に入り込み、自然なかたちで役を表現できたのではないかと思います。

ボリュメトリックビデオ技術を採用し、難しい撮影条件を回避

大澤:本作ではインカメラVFXとともにボリュメトリックビデオ技術※1も使いましたよね。

内片:はい。今回のスタジオはボリュメトリックビデオの設備も整っていたので、これはVFX好きな僕としては試さない手はないと(笑)

第一話の冒頭、役者が漁船から島に上陸するシーンで、ドローンで撮影した実写に対して、ボリュメトリックビデオで撮影した役者を合成しました。

大澤:遠景なので人物も小さいのですが、CG上でカメラパースやライティングを背景にマッチさせることで自然な仕上がりにできました。

内片:そうですね。ボリュメトリックビデオは今回のように危険な場所や撮影しづらい場所など、実写だと条件が難しいシチュエーションに適していると感じました。例えば、高い場所を人が歩くシーンや、崖の上で演じるようなシーンでも使えると思います。

塚元:他にも、現実的にカメラでは不可能な奇抜なカメラワークを表現するのもボリュメトリックビデオの得意なところですね。例えば、戦闘シーンで役者の股の間をカメラが通る、みたいな。

内片:最近のアクション映画などで目にするカメラワークですね。その場合、背景はどうするんですか?

塚元:フルCGが一般的だと思います。

内片:なるほど。ある意味でスタイリッシュな演出そのものを見せたいときには強烈な武器になりますね。逆に、ごく普通の撮り方をしている作品のなかで突然ボリュメトリックビデオのカットが入ると不自然になってしまいそう。使い所はよく考える必要がありますね。

ボリュメトリック撮影スタジオ

※1 ボリュメトリックビデオ技術:人物や物体を複数のカメラで全方位から撮影し、3Dデータとしてキャプチャする撮影技術

制作現場とポスプロの融合が、インカメラVFXによる「リアルとアンリアル」を繋ぐ

大澤:思い返すと、監督と初めて仕事をさせていただいたのは2019年から放送されたテレビドラマ『孤高のメス』の現場でしたね。

内片:そうですね。あのときと同様、今回も大澤さんをはじめ​​Imagica EMSのみなさんには手厚く技術支援をしていただきました。

​​Imagica EMSさんはポスプロの領域で確かな経験値があって非常に安心感があります。今回も制作の過程でいろいろなお願いをしましたが、無下に「できません」と言われるようなことはなく、常に柔軟な姿勢で対応していただけました。

大澤:インカメラVFXについては我々も経験値が少なかったので「一緒に勉強させていただいた」という思いです。

塚元:インカメラVFXの撮影は、同じスタジオ収録でもCG合成を前提としたグリーンバック撮影とは我々制作側のワークフローが大きく違うということが今回の気付きでした。グリーンバックの場合、収録後に撮影した映像とCGを合わせてカラーグレーディングを行います。ポスプロ専用のスタジオで、ある意味落ち着いて作業に専念できる。一方、インカメラVFXの場合は収録の現場でLEDウォールに背景が映し出されるので、芝居の本番と同時に画づくりも完成させる必要がありました。

大澤:ときには撮影や照明、美術など現場の皆さんのスピード感についていけずにご迷惑をおかけすることもあったと思います…。そんななか、監督にはこちらの技術面にも配慮いただきながら進めていただき、とても助かりました。

内片:インカメラVFXの撮影は、現場とポスプロの融合。​​Imagica EMSのみなさんには、もの凄いテンポで進んでいく現場に合わせていただく必要があり、ご苦労もあったかと思います。それでも確かな技術で支援していただき、無事に念願のインカメラVFXによる初作品を世に送り出すことができました。これからも一緒に、新たな撮影技術にチャレンジしていきたいですね。
大澤:我々も、今回は多くのことを学んだので、次回はもっと上手く進められると思います。ぜひまた今後の作品でもご一緒させてください!内片監督はじめ制作スタッフの皆さん、改めまして、ありがとうございました。本作が少しでもたくさんの人に観てもらえるといいですね。

【前編はこちら】Huluドラマ『十角館の殺人』にフル活用されたインカメラVFXの可能性

『十角館の殺人』公式HP
https://www.ntv.co.jp/jukkakukannosatsujin/

『十角館の殺人』Hulu配信ページ
https://www.hulu.jp/jukkakukannosatsujin