Huluドラマ『十角館の殺人』にフル活用されたインカメラVFXの可能性(前編)
2024年3月22日から配信開始となるHuluドラマ『十角館の殺人』。綾辻行人原作の館シリーズミステリ第1弾の映像化にあたり、監督の内片輝氏はインカメラVFXを効果的に活用した。
この新しい技法によってもたらされた制作プロセスの劇的な変化や、表現できた世界観、試行錯誤の過程について、本作の実写映像化という情報解禁前の2023年11月某日、内片監督と、制作を支援したIMAGICAエンタテインメントメディアサービス(以下、Imagica EMS)の大澤宏二郎、塚元陽大の3者に話を聞いた。今回の前編は内片氏がSFX・VFXに興味を持った原体験や、初めて使用して感じたインカメラVFXの有用性や課題について。
対談者
映画・ドラマ監督:内片輝氏
VFXプロデューサー:大澤宏二郎(株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス)
VFXスーパーバイザー:塚元陽大(株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス)
内片輝氏
Film Director 映画・ドラマ監督/プロデュース/
代表作:テレビ朝日『相棒』シリーズ・『棘の街』/フジテレビ『シグナル』/WOWOW『石の繭』殺人分析班シリーズ・『邪神の天秤』公安分析班シリーズ・『コールドケース』シリーズ・『密告はうたう』・『孤高のメス』など
人をアッと驚かせる映像技術への興味。その原体験はスター・ウォーズ
大澤:内片さん、『十角館の殺人』の撮影、お疲れ様でした。
内片:おかげさまで無事に撮影を終えることができました!ありがとうございました。
大澤:監督としても我々Imagica EMSとしてもインカメラVFXを使ったドラマ撮影は今回が初めてで、試行錯誤しながら進めましたね。そもそも監督はいつ頃からインカメラVFXに興味をお持ちだったのですか?
内片:インカメラVFXの技術を認識したのは、2019年から配信が開始されたスター・ウォーズ初の実写ドラマ『マンダロリアン』だったと思います。映像を観たとき「これはすごい」と驚きましたね。加工を施していないメイキング映像の時点で、実在する広大な砂漠で撮影していると思い込んでしまうほどリアルで、それがスタジオの中で撮ったアンリアルな背景だと気付いた瞬間、「なぜこれが日本ではできないのか」と思わず悔しくなりましたよ。
大澤:『マンダロリアン』は、インカメラVFXの技法が業界で広く認知されるきっかけになった作品ですよね。
内片:僕の場合、そもそも映像の技術に興味をもった原体験が小学校一年生のときに劇場で公開されたスター・ウォーズの第1作目『エピソード4/新たなる希望』でした。当時は「マットペイント」と呼ばれる背景を合成する技術が使われていました。手描きしたリアルな背景画を実写に合わせるアナログな手法で、子どもながらに「ここの合成がうまくいってない!」と、粗探ししていていたことを覚えています(笑) 他にも『アルゴ探検隊の大冒険』ではストップモーション・アニメ(コマ撮り)で撮影された骸骨剣士の不思議な動きにワクワクしていましたね。
大澤:どの作品も懐かしい…同世代にはたまらないお話です(笑)監督は以前から合成技術そのものへの関心が高かったんですね。
内片:そうですね。映像技術を駆使して実在しないものを描き出し、それによって人を驚かせるギミックに面白さを感じていて、子どものときはILM※1で働くことが夢でした。
自分が映画監督として作品を作る側の立場になってからは、SFX・VFXでトップを走るアメリカと日本の技術の差を痛感することが多くなりました。発想力だけではなく単純にデバイスの問題で敵わないことに歯痒さを感じてしまう…。
大澤:私も『マンダロリアン』でインカメラVFXの技術を知ったときは、日本の映画でこの技術が採用されるのはまだまだ先のことだろうと思いました。しかし、こうして実際にできるようになり、非常に感慨深いです。
※1 ILM(インダストリアル・ライト&マジック社):ジョージ・ルーカスが1975年に立ち上げたSFX・VFX映画制作会社。『スター・ウォーズ』シリーズの他『インディ・ジョーンズ』シリーズ・『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ・『ハリー・ポッター』シリーズ・『トランスフォーマー』など、数々の有名作品を手がけている。
スタジオ選びからImagica EMSがサポート。あらゆる撮影条件を自在に作り出せるインカメラVFXの魅力
内片:今回はインカメラVFXを使った撮影ができるスタジオを選ぶところから大澤さんにサポートしていただき、とても助かりました。数件のスタジオを見学させてもらい、設備とコストを比較したうえで一番バランスのとれた場所を選ぶことができました。
当然、そこで映し出すCGのクオリティも妥協はしたくなかったので。
塚元:そうですね、我々としては背景のフルCGのクオリティにはかなりこだわりました。インカメラVFXの技術を使ったところで、結局LEDウォールに映し出す素材が良くないと意味がないですから。
内片:最初にデモリールとして森の中を車が走るシーンの背景をつくってもらいましたが、それを見たときに「これだったらいける。他の走行シーンもすべてインカメラVFXで撮れる」と確信しました。
塚元:そう言っていただけると大変嬉しいです。実際にインカメラVFXで撮影してみて、率直な感想としてはいかがでしたか?
内片:シチュエーションや時間帯など、あらゆる撮影条件をスタジオの中だけで作り出せるので、非常にスムーズに進みました。外で撮る場合、条件に合ったロケーションを探すところから始まり、理想的な季節や時間帯、明るさなどを狙って撮影の日程を決める必要があります。しかし、キャストやスタッフのスケジュールも全て調整し、万全の体制でいざ撮影に臨んでも、想定外の悪天候ですべてバラしになってしまう、なんてこともありますからね…。
インカメラVFXを使ったことで、そうしたリスクや非効率がなくなりました。スケジュール調整で現場が振り回されることもなくなったので、役者さんもストレスなく演技に集中できたと思います。
大澤:たしかに、ロケだと1分のカットを撮るために5時間かかる、みたいなこともよくありますよね。
内片:それが、スタジオでインカメラVFXを使えば何の心配もなくあっという間に撮れてしまう。撮影の現場では、むしろスケジュールが押してしまうことの方が当たり前なので「こんなにスムーズでええんかな」って、逆に不安になりましたよ(笑)
インカメラVFXの難しさを踏まえ、試行錯誤で編み出した撮影術
大澤:インカメラVFXを有効に活用できた一方で、特有の難しさもありましたね。
内片:そうですね、LEDパネルの得意・不得意がわかりました。
大澤:監督が感じたLEDパネルの「不得意」と言えば、あれですかね?
内片:そう、ひとつは「黒の再現性」です。
大澤:そうなんですよね。LEDは昔のスクリーン・プロセス※2に比べると黒が締まるとは言われているものの、現場では難しさもありましたね。
内片:そうですね。LEDパネル自体が発光して色を表現するので、パネルの明るさに合わせて照明の輝度を上げていくと、その影響を受けてパネルの映像が白茶けてしまう。
大澤:そうすると、全体が明るくなって黒が浮いてしまい、リアリティのない画になってしまう…今回の撮影で最も苦労したところですね。
内片:カメラテストを何回も行った結果、LEDパネルが放つ色と役者に当てる照明が干渉しないように、役者にはLEDパネルからある程度距離をとったところで芝居をしてもらいました。同時に、照明を当てる向きにも注意しましたね。正面からLEDパネルの方向に順光で当てることはせず、必ずLEDパネル側から役者に向けて逆光で当てるか、真横から当てることで光の干渉を回避しました。
大澤:そこでもう一つ課題になったのが「パネルの大きさ」でしたね。
内片:おっしゃる通り。パネルから離れたところで演じている役者を撮るとき、パネルの枠が映り込んでしまう場合があったので、ある程度画角も制限されました。そのため、カメラレンズも変えながらカットごとに撮影プランを検討していきました。
レンズ選びでは、被写界深度にもこだわりました。被写界深度が深いレンズだと、当然手前にいる役者にピントを合わせても、その奥にあるLEDパネルの質感まで鮮明に映し出されてしまうんです。
大澤:なるほど。LEDパネルの画質は素晴らしいですが、ピントが合いすぎるとパネルの素子まで露わになってしまうと。
内片:今回はその点にも配慮して、カメラレンズは長玉を選びました。被写界深度の浅い長玉で撮ることで、手前の役者にピントが合い、LEDパネルの背景は良い塩梅でボケてリアリティのある映像に仕上がったと思います。
加えて、「黒が締まらない」という課題への対処としては、先ほどお話しした通り、照明の当て方に配慮しながら、Imagica EMSさんにはLEDパネルに映し出される背景の明るさも微調整していただき、さらにはカメラを通して映し出される映像もその場でカラーグレーディングしていただきました。このあたりはまさにImagica EMSさんの専門分野ですから、現場での臨機応変な対応かつ丁寧な対応で、理想的な画に近づけることができました。
大澤:こうして思い返すと、インカメラVFXの特性を活かして最大限良い映像を撮るために、かなりいろいろな工夫をしましたよね。シーンごとに得意・不得意という特性もあって、デイシーンの順光ではどうするとか、車の走行シーンの場合は、とか。それぞれ、現場でCGの最終的な詰めもできたのでインカメラVFXのメリットを活かせた部分でもあり、大変だった面でもありますね。
※2 スクリーン・プロセス:映画やテレビにおける特撮技術の一つで、プロジェクター合成ともいう。
スクリーンの裏側から映像を投影したスクリーンの前で俳優が演技を行う技法と、映像を投影したスクリーンの前で俳優が演技を行う技法の2種類あるが、いずれもスクリーンが周りの光の影響を受けるため、暗部が黒浮きしてしまうのが難点。
後編では、本作のことについてもう少し踏み込んでお聞きしていきます。
後編につづく
『十角館の殺人』公式HP
https://www.ntv.co.jp/jukkakukannosatsujin/
『十角館の殺人』Hulu配信ページ
https://www.hulu.jp/jukkakukannosatsujin