『すべて忘れてしまうから』16㎜フィルム× ACES 古くて新しい既視感のないテイスト

「16㎜フィルム撮影でHDR仕上げ」というワークフローは経験がありませんでした。今回ディズニープラス「スター」で見放題独占配信中のドラマ『すべて忘れてしまうから』において16㎜フィルム×HDRという未知の画づくりに挑戦して得られた技術を説明していきます。

ディズニープラス「スター」で見放題独占配信中の話題作!“ふとすれば忘れてしまうような日々の記憶”を書き留めた、エッセイ『すべて忘れてしまうから』(原作:燃え殻)をもとに、“消えた彼女”を巡るミステリアスでビタースイートなラブストーリー。
ミステリー作家として生計を立てている”M”(阿部寛)は、お気に入りの店を書斎替わりに、執筆作業をする日々を送っている。特にお気に入りは“BAR灯台”と“喫茶マーメイド”。
“BAR灯台”の灯りのやさしさ、“喫茶マーメイド”の安心感、それぞれ繊細な光が作品の世界感を表現している。
エンディングでは、総勢10組のアーティストが、全10話それぞれのエンディングを担当。劇中の舞台である“BAR灯台”などで生演奏をしており、作品の世界観の中でのパフォーマンスは必見!

本作はドラマ作品では珍しく全編16mmフィルムで撮影されました。ただし今回はHDR版を作る必要があります。これまでも16mmフィルム撮影でSDRの作品はあったものの、HDRは経験がありませんでした。最初にこの話を聞いた時、果たしてHDRだとどう見えるんだろうか?と率直に思いました。 ACES(Academy Color Encoding System)ワークフローがマストかわからない段階でしたが、HDR×16㎜フィルムという未知の画づくりに挑戦するのであれば最先端のワークフローとフィルム作業の両立を目指したいと思いACESワークフローで進めることにしました。

まず、ACESで進めるにあたりフィルムをAcademy Density Exchange(ADX)でスキャンしました。ACESのReference Rendering Transform(RRT)を利用することを考えると、通常のCineonスタイルのスキャンよりも相性が良いのではと感じたためです。そしてスキャナをADXモードに設定した上、さまざまなセッティングで試していきました。

作品で新しいワークフローを検討する際は、より良い画を目指すために社内の関係者と協議をし、さまざまなパターンの画質評価を進めていきます。スキャナ自体は大阪にあるため、大阪のスキャン担当者や東京側のスタッフとで設定のやり取りなどを効率よく進めるにあたり、Slackチャンネル上でコミュニケーションを取りながら細かな技術確認を詰めていきました。

さまざまな設定パターンを試したのち、HDR作業を進めるにあたって十分に勝算があると直感したセッティングが見つかり安堵しました。結果的にACES側の設定としては、InputTransformにADXを選び、グレーディングの色空間はACEScct、OutputTransformはrec.2100/PQとなりました。

今作で実際に使用したスキャナ「ScanStation」

カラーグレーディング

 実際にADXを ACESフローでHDRにすると圧倒的な画の存在感がありました。いわゆるフィルムルックでありつつ既視感のない映像でした。

デジタル撮影に対してのHDRの見え方はパリッとしていて、個人的にはあまり得意ではなく、上手く付き合えていないと思っていたのですが、16mmのおかげか普段気になるような印象はほとんどありませんでした。

画の奥行きのボケ感や像のエッジの鋭いデジタル撮影に比べると16㎜は基本的には甘いイメージになりますが、その甘さが「絵」として成立している感じがしました。デジタルとは一線を画す「良い感じ」がHDRになっても再現されていました。

普段のグレーディング作業ではデジタル撮影の画のいわゆる“生っぽさ”を軽減させる事に注力しているため、逆にそもそもフィルムで撮られた時にそういえば自分は何をすればいいんだっけ?という感覚になりました。 ACESやHDRの関係もあり、16㎜フィルムで撮影された時代がかったような、いわゆる「古い」印象はほとんどありませんでした。

作業時のDaVinci ResolveのGUI

色のベースのイメージはカメラマンの四宮さんとこれまでにご一緒した作品の方向性や参考映像なども意識しつつ、フィルムACESのなかで無理なく実現出来るイメージで作成しました。物語の季節が冬設定という事もあり、ノーマル環境で多少シアンブルーを感じる調子にしました。 作品本編としてはBARシーンの昼夜の見え方や日常的なシーンにおいて他作品、他のワークフローとは一味違う良さが出ているかと思います。

具体的にはライトの各色の色味やシチュエーション毎に写る物などの発色が一般的なデジタル撮影や16㎜の他のSDR作品と比較すると独特な点がありました。特徴的というよりは繊細で階調が豊かな表現力があるような印象をもちました。

仕上げ・今後について

仕上げの段取りとしてはHDR版を作り、そのあとにSDR版も仕上げるフローとなりました。HDRとSDRは輝度のレンジが異なるので質感の見え方の判断などが大変でした。DolbyVisionはカット毎にトーンマッピングをコントロール可能ですが、作品によっては、カットよりも大きな単位でコントロールした方が良いケースもあるのではないかと感じました。この点は今後経験値を上げていきたいと強く思いました。

また、フィルムの粒子がHDRだと特に強く見えてしまうことは懸念点であり粒子のノイズリダクションをしました。HDRで気にならないくらいにするとSDRでは粒子が取れすぎる問題があり塩梅が難しく、もう一歩リダクションが弱くても良かったかとも思います。 

 作品を見ていただいた方からフィルム感とデジタル感がハイブリッドしているような印象があると感想をいただきました。そういう意識はなかったのですが、言われると妙な感じでした。結果として「古く」ない16mmの作品テイストに ACESやHDR、自分達のデジタルでのノウハウが生かされていたのかなと感じます。

今後HDRやACESはよりスタンダードになっていくであろうし、逆にフィルム撮影の需要も根強く残ると思います。その二つの親和性の高さを感じることが出来た事が今回の大きな収穫でした。

文:北山 夢人(カラリスト)
検証協力:長谷川智弘