小津安二郎監督『父ありき』 フィルムのデジタル修復とカラーグレーディングで復元

旧作のデジタル修復作業は、年数を重ねることで劣化してしまったフィルムを当時の状態に復元することですが、制作した年代によってそこには今とは異なる時代背景や技術的な差があり、当時の製作者の思いや意図を尊重した上で作業を行なっていく必要があります。

時代を超え、フィルムを通して作品が持つテーマを当時のまま感じられることがデジタル修復作品の醍醐味だと思います。今回は日本映画界の巨匠である小津安二郎監督の白黒映画『父ありき』(1942年公開)を題材に、デジタル修復とカラーグレーディングの観点で作業内容についてお伝えします。

作品と時代背景

『父ありき』は太平洋戦争のさなかに公開された小津安二郎監督作品。戦時中の日本を舞台に、父と息子の愛情を描いたストーリーとなっており、同時代の社会状況や戦争に言及した場面も含まれています。
しかし、終戦後、作品を再公開するにあたりGHQから検閲を受けたため、主人公が国家や主君への忠義を歌っている「正気歌」を吟じるシーンなど、一部がカットされたフィルムしか残っていないとされていました。ところが、ロシアでGHQ検閲前のフィルムが見つかり、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)に収蔵されました。
そして今回、松竹株式会社様、国立映画アーカイブ様とともに、検閲前後のフィルムを合わせてオリジナルに近い復元に取り組みました。

フィルムのデジタル修復作業

フィルムに残されたすべての情報は、そのフィルムがたどってきた歴史そのものを表しています。
復元作業は、今や現存しないオリジナルネガフィルムからポジへ複製した当時の過程や、検閲などの理由でフィルムにハサミが入り、編集の異なるバージョンが存在していること、それに加え、使用環境や経年によって蓄積されたダメージなど、そのすべてを紐解くことから始まりました。

今回のデジタル修復作業では、16mmと35mmのフィルムをどちらも4K解像度でデジタル化し、両者の差異を子細に調べていきました。その結果、より状態の良い16㎜をベースに、欠損しているカットやシーンは35㎜を使用することにしました。
そこから、フィルムに付着したゴミや傷、焼き付け時のダメージや経年劣化から生じるコントラストの揺らぎ、画面のゆれなどを修復する作業を時間をかけて行っていきます。
そして修復作業の終着点である、作品の公開当時の姿にどれだけ近づけるか?ということをテーマに、カラーグレーディングへと工程は進んでいきます。

傷が大きい箇所のデジタル修復のbefore/after画像

白黒フィルムのカラーグレーディング

白黒フィルムのカラーグレーディングは明るさとコントラストの調整のみで、基準をどこに置くかが重要になります。明るさとコントラストの強弱で作品の見え方が異なってくるので、まずはその作品全体を見た上で基準を作っていきます。
どのカットを基準にとるかは、ライティングや映っているもの、フィルムの状態から一番条件が良さそうなカットを探します。

・輝度の基準
輝度が高すぎるとデジタル的な硬さが出るので、波形上で85%あたりに収まるように意識しています。全体的に暗い印象になりすぎず、フィルムの質感が残る範囲で調整します。

・コントラスト
コントラストは肌の立体感に大きく関わってきます。そのため、人物の表情や作品の空気感を伝えるためには、繊細なコントロールが必要になります。画全体に重厚感をもたらす為に、暗部とのバランスを見て調整します。

・カットごとの調整
作品全体の基準を作ったらカットごとの調整に入ります。基本的には顔の明るさを見ながら調整します。
デュープネガなどカットごとにフィルムタイプが異なる箇所もあるので、なるべく流れに違和感がないように整えていきます。

カラコレのbefore/after画像

『父ありき』のカラーグレーディングの難点

フィルムにはすでに焼き込まれた無数の傷やダメージがあり、デジタル修復の過程で解像感や粒子感を補いつつ処理を施しても、画全体のシャープネスが弱くなり柔らかくソフトになってしまう印象はぬぐい切れず、カラーグレーディングでどの程度コントラストを付けるかのバランスがとても難しくなってきます。
画を見やすくする為にもコントラストはしっかり作りたいのですが、フィルムの持つ暗部と明部の階調が無くならないように注意する必要があります。
『父ありき』は全編を通して縦傷が多いので、そのバランスがとても繊細でした。

さらに検閲でカットされたシーンは検閲前のフィルムから持ってきますが、検閲後は16mmフィルムが使用されているのに対して、検閲前は35mmフィルムが使用されているため、質感や階調がだいぶ異なります。
カットの途中でフィルムが切り替わる箇所もあり、その違いを埋めることが難点でした。

そしてデジタル修復の過程でフィルムの粒子が軽減されるため、フィルムの質感や奥行き感を元に戻すために修復後のカラーグレーディング時に粒子を足していきました。

16mmと35mmの同カットの画像

素材の時点で見た目の差が大きい

コントラストで極力近づけた

まとめ

白黒フィルム作品はとても繊細で奥が深いものです。
筆者は、小津監督作品は『長屋谷紳士録』、『風の中の牝雞』などに続き、4作品目として『父ありき』を担当しました。これら4作品とも近森眞史カメラマンの監修の下でデジタル修復作業を進めてきました。
近森氏は、小津監督作品の撮影助手を経て数多くの作品の撮影監督を務められた川又昂氏に師事され、近年は山田洋次監督作品の撮影も多数担当されている撮影監督です。
その近森氏と共に、残されたフィルムの映像から撮影状況を読み解きつつ作業を進める中で、同じ白黒フィルムでも作品によってそれぞれに個性がありながら、どの作品も小津監督らしさがあることを常に感じていました。
旧作のデジタル復元作業が新作映画の作業と異なる点は、当時作品に携わった方々のことやその当時の技術、時代背景のことを考えながら作品と向き合う事です。新作とはまた違う難しさや面白さがあると感じています。
オリジナルに近い形まで復元された『父ありき』を見てくださった方々に、旧作リマスター作品の奥深さを少しでも感じていただけたら大変嬉しく思います。

文:横田 早紀(カラリスト)