100年前の震災映像記録を今に〜関東大震災による津波被害を記録したフィルムの映像修復〜

橋の上に乗り上げた船や倒壊した家屋や商店街など、1923年9月1日に発生した関東大震災による津波で大きな被害を受けた、静岡県東部の伊東町(現在の伊東市)の様子を克明に記録したフィルムが発見されました。

発見当時のフィルムは相当に劣化が進んでいたものの、慎重な修復作業により当時の被害状況を確認できる貴重な映像資料として復元されました。

「伊豆 伊東町の大海嘯」と題された津波被害の様子

このフィルムには、これまでに国立映画アーカイブが所蔵する資料に含まれていない、5分42秒の新発見部分が残されていました。しかも撮影ネガからのジェネレーションが若い35mmフィルムだったため高画質であり、復元されたフィルムからは被災者の表情や、街頭の看板の文字、浸水被害の状況を示す電柱に残された水位など、多くの情報が得られました。

また津波が去った後の海岸では大きな被害が出た地域と、海岸沿いにありながら被害が少なかった地域があることが鮮明に映し出されており、浸水分布の推定においても大きな手掛かりとなります。

津波で倒壊した家屋 (C) 原版所蔵:山端健志 協力:板橋区

関東大震災当時は映画フィルムの撮影は35mmフィルムで行うものであり、国立映画アーカイブが所蔵する映像資料は、その原版から16mmに縮小プリントされたフィルムと考えられます。

今回、その元となった35mmフィルムのプリントが発見されたことは、地震・津波の災害研究にとっても有意義なものとなりました。

加水分解が進んだフィルムへのアプローチ

板橋区立教育科学館の山端健志氏が発見された「関東大震災を記録した貴重なフィルム」について、大阪芸術大学の松本夏樹氏よりご相談を受けた時は、フィルムの状態が悪く加水分解が進んでいる状態でした。

「貴重なフィルム」と言われると、多くの場合、物理的にも1つしか存在しない場合が多いため慎重に扱わねばなりません。ただ、入社の頃より「フィルムに触る際は落ち着くこと」と叩き込まれていたので、平常心を保ちつつ、淡々と作業に取り組むように心がけました。

松本さんと山端さんには修復作業を行う前にまずはフィルム作業の現場をご見学いただきました。お二人ともフィルムの性質についてご理解が深く、保存という観点で強い想いをお持ちでしたので、修復作業の流れをご確認いただき、すぐに劣化対応の処置を施すことができました。

※フィルムの加水分解とは:

水分、熱、フィルム自体が発するガス等による劣化のこと。進行具合によって変形や画像消失、溶解、分解が生じる。保管環境の保全により、その進行具合を緩和することができる。

フィルムの劣化を遅らせるため、弊社では加水分解によって発生する酢酸ガスを吸着しフィルムの保存環境を安定的な状態に保つ「Cine Keep 2™️」を販売しております。

実際のフィルムの状態

お預かりしたフィルムが入った箱を開けた際、ナイトレートフィルムが劣化している時に漂う独特な臭いが辺り一面に広がります。側面の固着した部分、箱の底に散乱した粉上のフィルム片を見ただけで、普段お預かりしている劣化フィルムの中でもとりわけ症状が良くない部類のフィルムと分かりました。

フィルムの状態の写真:加水分解による画像の消失

状態を更に把握するためにロールになっているフィルムをほどいていきます。通常の巻き取り盤にかけることが困難だったため、フィルムラックを使用してゆっくりとほどいていきます。作業を進めると「このフィルム、救えるのかしら?」と少し不安な気持ちになっていきました。

フィルムラック。通常の巻き取り盤よりもフィルムにテンションをかけずに作業することができる

発火する危険性のあるナイトレートフィルム

このフィルムは、硝酸セルロースを素材としたフィルムをベースとする可燃性の「ナイトレートフィルム」でした。これは消防法により危険物第5類に指定されており、分子中に酸素を含有し、自己燃焼しやすいとされる自己反応性物質です。ダイナマイトの原料になるニトログリセリンと類似した性質を持つため、大変燃えやすく現在は流通していません。危険物取扱者の国家資格保有者の管理のもと作業を行っていきます。

劣化したフィルムの物理的な修復

このような状態にあるフィルムの修復作業ではフィルム自体の縮みに対応したテープスプライサー(フィルムをカットしたり、繋げたりする作業に使用する専用機器)を駆使し、劣化の著しい箇所を切除、画像消失部と脆化(ぜいか)している部分にはフィルム全面にテープ補強することで安全に機械へかけられる修復を施しています。

状態の確認を進めていった結果、部分的に状態が非常に悪く、フィルムの溶解と固着、脆化、画像消失の症状が見受けられましたが、幸運にもそのほかの部分は状態が良く、良質な複製が可能な状態でした。

画像消失している部分と画像が残っている部分

しかし、この状態の悪い部分をそのままにしておくとさらに周囲のコマにも影響がおよび、画像消失が進行していきます。

そのため、お客様へのご説明とご了承のもと、固着して画像のない部分は切除しながら修復作業を進めていきました。切除部分は全体の 0.3%(約 3F)程。この部分はフィルムが固まりきってしまい、ロールからほどくことも困難な状態でした。このまま進行してしまえば、ロールからほどくことができずに中身を確認することすら困難になっていたと推測します。おそらく修復するギリギリのタイミングでの作業になったと感じています。

修復前、パーフォレーション部分が欠けており、このままでは断裂してしまう
修復後、欠けた部分を他のフィルムから切り出したパーツで補い強度を確保する

今回はデジタル修復だけでなく、フィルムとしての複製も制作するため修復作業の終わったフィルムはプリンターにかけます。弊社のプリンターは劣化したフィルムにも対応できるようにテンションや走行の調節ができるように自社改造を施した機器です。これを専門の技師が取り扱うことで、劣化したフィルムにとって安全な走行が可能となります。デジタル複製のフローでも脆化や、劣化して黄色く変色したフィルムを適格にキャプチャーできるよう、スキャンの技師がフィルムを操作するスピードに気を配りつつ、作業を進めていきます。

フィルムの複製とタイミングマンの仕事

フィルム複製のフローを全体把握し、その品質責任を担っているのが、タイミングマンです。タイミングマンの益森利博は毎回1つ1つの作品に向き合い、映画フィルムのプリントを行ってきました。今回もお預かりした元のナイトレートフィルムの忠実な再現となるフィルム複製を目指し、現像タイムとプリンターの光量の調整を行っています。

現像タイムを決定する責任を持つことから「タイミングマン」と呼びます

白黒作品を複製する時に気をつけることは「明るさ(濃度)」と「コントラスト」です。今回のケースのように上映用のポジフィルムからの複製を作成する際は、中間素材としてのインターネガを作成してからポジプリントを作成する工程を踏みます。明るさ(濃度)はプリントのタイミング作業時に調整可能ですが、コントラストはインターネガを現像する段階で決定しなくてはなりません。そのため、作品全体の持つコントラストをルーペを使って目視で確認し、フィルムに残されている情報を最大限引き出すためにインターネガの現像温度と現像タイムを決定します。最終的には現在使用されているエスターベースのポジフィルムへ複製を行うことになるため、当時と違うフィルム特性の中で再現性を高めていくために熟練の経験と職人技が必要となります。

デジタル修復を経て貴重な映像資料を未来に残していく

部分的に劣化していたとはいえ、画像が残っている部分は艶のある漆黒で、明るく抜けた部分のキレが良く、画自体が持つ力強さに思わずハッとさせられました。100年前に上映されたフィルムが100年後の私たちの手元に届き、修復と復元を経てまた同じように上映されていることは「フィルム」という媒体が100年以上の時を超えて、画像を保存しながら存在できるという証拠でもあります。

フィルムの状態を確認する筆者

フィルムは適切な保管方法で扱えばとても安定性のある映像メディアです。100年前のフィルムが存在すること、今回行った100年前のフィルムの修復、複製作業によってさらに時を超えて100年後の人たちが同じフィルムをみることができるのは奇跡のような感覚です。

文:堀内 藍(フィルム技術者)

原稿に寄せて

1970年より収集し始めた玩具映画の経年劣化への懸念から、約160本の戦前フィルムを大阪芸術大学に寄贈することで開始された「玩具映画プロジェクト」で御社にお世話になって以来、既に四半世紀となります。いつも個々のフィルムの劣化状態に配慮した丁寧な復元作業をして頂き、本当に感謝しております。その間にも御社ラボによるフィルム染色技術の復元研究や、劣化原因となるガスの画期的吸収剤開発など、初期映画史研究の新知見と共に一次史料保存にも重要な貢献を重ねられている真摯な姿勢には尊敬の他ありません。

今回の震災記録フィルムも、こうした御社の弛まぬ研鑽集積した技術があればこそ、新たな歴史的発見があり且つ史料復元と保存が可能となりました。映像を記録するフィルムというメディアはその発明初期の材質から、放置すれば劣化消滅の運命を免れません。そうであればこそ、御社ラボの「フィルム愛」といっては失礼かも知れませんが、フィルム復元と保存にかける並々ならぬご努力ご研鑽に信頼申し上げるところ大なるものがあるのです。

 松本 夏樹(映像文化史家)


極めてセンセーショナルなフィルムだと思います。といいますのも、複数の特徴があります。

新発見箇所をふくめ国立映画アーカイブにはない35mm、加水分解からフィルムを守る修復技術、当時のフィルムから防災を学ぶという斬新な切り口。

どれに絞ってもとてもユニークなフィルムです。

僕は大学生の頃、授業でお世話になった松本夏樹先生から紹介を受けた人力移動映画館「ニッケルオデオンワゴン」の操作を覚えるかたわら、玩具映画や蓄音器など、映像文化黎明期の視聴覚メディアたちに興味をもちました。今回発見したフィルムはこれまで集めてきたフィルムのなかでも加水分解が進み、急を要する状態でした。

また、松本先生は100年前の時点で赤く染色された関東大震災の玩具映画フィルムを所有されていたので、僕が発見した長尺のフィルムとセットで保存を進めれば、上映興行から短く切って子供用玩具へとリサイクルされた日本における映画フィルムの歴史的変遷を体現できると思いました。

そのためImagica EMSさまと長年にわたってフィルム保存活動をされている松本先生にすぐ相談したのを覚えています。

今夏、僕が所属する日本映像学会メディア考古学研究会(代表:福島可奈子)はImagica EMSさまにご対応いただいたニュープリントとデジタルデータをもとに発見フィルムについて学術調査を行いました。原版では固着して確認できなかった部分も”蘇った”発見フィルムから確認でき、残された光景から撮影クルーの足取り、そして発災当時におけるニュース映画の需要など、発見フィルムにまつわる諸相が明らかになりました。

これらの調査をもとに、発災から100年を迎えた今年9月には弊館(板橋区立教育科学館)にて当時の映写機で上映する企画展を行いました。イベントには伊東市から来られた方も多く、「死んだ親父が津波の瓦礫除去のことを話していた。(消防団を指さし)あれは親父かもしれない。」など貴重なエピソードを聞くこともできました。

100年の時を経て蘇った発見フィルムは、当事者が次世代に語りつないだ生の声までも再生したのです。

蘇ったフィルムから震災と対話したことは、映像メディアと密接する今を生きる我々はもちろんのこと、郷土史、映画史、各アーカイブにとって極めてセンセーショナルな出来事だったと察します。

「体感した光景」を形に残し伝えていくことの重要性を再認識させてくれたこの発見フィルムとその修復という大いなる作業は、映像文化の動態保存における代表的な前例となるでしょう。

山端 健志(板橋区立教育科学館 研究員)