舞台の魅力を映画で再現:ゲキ×シネ『薔薇とサムライ2-海賊女王の帰還-』とDolby Visionのカラーグレーディング

映画と演劇は、それぞれ異なる魅力を持つエンターテインメントです。映画は視覚的な表現力と緻密な演出が可能ですが、演劇は観客との直接的な繋がりと生のパフォーマンスが魅力です。これら二つの要素を融合させ、演劇作品をよりリアルで美しい映像で再現し、劇場で公開するのが“ゲキ×シネ”。観客に深い没入感を提供する新しいエンターテインメントとして注目されています。
今回はそのゲキ×シネ『薔薇とサムライ2-海賊女王の帰還-』のDolby Vision※1のカラーグレーディング※2についてお伝えします。

※1:Dolby Vision:動画の色や明るさを高いレベルで表現できる技術。例えば、夕日のシーンでは、赤やオレンジの色が鮮やかに見え、夜のシーンでは、星や月の光がくっきりと見えます。
※2:カラーグレーディング:映像の色調を調整し、視覚的な印象を強化するプロセス。

【作品のあらすじと特徴】

『薔薇とサムライ2-海賊女王の帰還-』は、圧倒的人気を誇る劇団☆新感線が2010年に上演した舞台『薔薇とサムライ』の続編で、石川五右衛門と海賊女王・アンヌが活躍する冒険譚です。アンヌが五右衛門の協力を得てコルドニア王国の混乱を収め、国王となってから10数年が経過した17世紀初頭の物語。劇団☆新感線と豪華キャストによる共演も見どころの一つで、この物語は観客を強烈に惹きつけ、興奮の渦に巻き込みます。

Dolby Visionの作業環境

今回はログ撮影素材(S-Gamut3.Cine / S-Log3)から、Dolby Visionが規定するスクリーン環境(DCIP3 SMPTE ST 2084)をターゲットとして、カラーグレーディングを行いました。
Dolby Vision対応のプロジェクターが設置されたスクリーン部屋で、カラーグレーディングのツールとしてDavinci Resolveを使用しました。

2023年8月時点で、Dolby Vision対応のスクリーン作業環境を完備しているポストプロダクションは国内で当社のみです。このスクリーン環境によって、Dolby Visionに対応したプロジェクターの色彩と階調を最大限に引き出して作業できます。

カラーグレーディング作業の流れ

今回はまず、監督からトーン作りに使用するLUT(ルックアップテーブル)と指示書によりシーン毎の方向性を詳しく示して頂きました。
LUTは、複雑な計算処理を単純な配列の参照処理で置き換えるために作られた配列、テーブル、またはその他のデータ構造のことで、映像処理の分野ではログ撮影データを、正規化された色に変換するためのカラーマップとしても使われます。
このLUTを使用した本編映像を実際にスクリーンで確認しながら打ち合わせをして、それからカラーグレーディングの作業に取り掛かりました。

作業内容としては、シーン毎のトーンに合わせてLUTを調整しつつ、作品全体を通して一貫したDolby Visonの調整を加えていきます。その上で、カット毎の調整を行いました。

美術や照明の色彩や濃度を強調したり控え目にすることで、画面に奥行きと立体感が出るよう、細かく調整していきました。これはDolby Visionによってさらに強調され、見て頂いた方は実際に観劇する以上の奥行きを感じ、没入感を味わうことができると思います。

また、監督からの提案により、場所の違いや登場人物の心情を表現するために、敢えて粒子感を出して“くすんだ感じ”を加えたシーンもあります。カラーグレーディングで明るさやコントラストを調整することで、映像の雰囲気や印象が変わり、それが観客の感情にも働きかけることになります。
監督がカラーグレーディングにも妥協せず時間をかけてくれたことで、ただ映像を美しくするだけのカラーグレーディングではなく、ストーリーテリングの一部として機能することができたのではないかと思います。

以下に、今回行ったカラーグレーディングの手法をご紹介します。

1.  LUTの分解

まず、LUTを4つの要素に分解します。  

4つに分解した後、各要素を調整していきます。
LUTが生み出す色相の変化と濃度の変化の“旨味”を活かしつつ、階調が破綻して見える要素はスムーズになるよう修正しました。
トーンカーブはDolby Visionのターゲットに合わせて調整し、RGBカーブのバランスはスクリーンを見ながら微調整していきます。

この過程では、色調のバランスを保ちつつも演出が必要なシーンは適度に“攻める”ことで、監督が求める独特の雰囲気になるよう努めました。

2. Dolby Vision用の調整

次に、発色、コントラスト、黒レベルなど、作品全体を通してDolby Visionでの見え方を調整しました。

下の画像は、左が従来のスクリーンでの見え方、右がDolby Visionでの見え方を再現したものです。

従来のスクリーンでの見え方に比べ、Dolby Visionは暗部のディティールの見え方や輝度の高さ、発色の鮮やかさに違いが見られます。

左が「従来」右が「Dolby Vision」

3. カット毎のカラコレ作業

最後に、カット毎にカラコレをしていきます。

本作品はログ撮影データ(S-Log3)から作業を行っています。
ログ撮影データは、テレビ番組制作で従来から使われてきたビデオデータに比べ、白飛びや黒潰れが少なくコントラストが低い記録方法で、暗い部分や明るい部分の情報が多く残るためカラーグレーディングに適した収録形式です。
そしてこの形式においては、光の強度をどれだけの輝度でデータ化するかが定義されているため、カラリストが理論的、数学的に変換し、再現性を高めた作業が可能です。

そのログ撮影データの特性を活かし、露出とガンマ(中間トーン)を効率的に制御することができるノード構成を用いました。具体的には、ログ撮影データのS-Log3からGamma 2.4への変換を行い、カラーコレクション作業を行った後、再びGamma 2.4からS-Log3へと逆変換を行っています。これにより、各シーンの明暗やカラーバランスを秩序を持って調整し、時間軸で見ても視覚的にまとまった一貫性のある映像として仕上げることができました。

おわりに

本作のカラーグレーディングのアプローチは、監督の意向に沿ってLUTをシーン毎に切り替えたため、作品全体のトーンを一貫させられるか、Dolby Visionの色域とガンマの中で効率的にLUTの旨みを引き出して魅力的な画を作れるか、という不安がある中での挑戦でした。
完成を迎えるまでにはいくつものハードルがありましたが、何度も挑戦を重ねたことで、高い没入感を味わえる作品にすることができたと思います。

監督やプロデューサーから、今回の作品について「美しさと一貫性を兼ね備えた素晴らしい作品になった」と高い評価をいただきました。
ゲキ×シネでDolby Cinemaが導入されたのは『偽義経冥界歌』以降、『狐晴明九尾狩』『神州無頼街』に続き『薔薇とサムライ2』は4作目になります。Dolby Cinemaを視聴される皆さまに「やっぱりDolby Cinemaは良いね」と感じて頂けるよう、これからも没入感のある画作りに挑戦し続けてまいります。

文:則兼 智志(カラリスト)