Huluドラマ『十角館の殺人』カラリストが語るインカメラVFXで挑んだ3つのハードル

ミステリー小説『十角館の殺人』は名作として人気がある一方で長年、“映像化は不可能”といわれ続けてきました。それは脚本や演出の面だけではなく、映像技術の面でも実写化には大きなハードルが立ちはだかっており、撮影は試行錯誤の積み重ねでした。

実在しない孤島とその上に建つ館をどうやって表現するか、また屋外のナイトシーンや車・バイクのシーンなど撮影が難しいシチュエーションが多数登場します。

そこで内片輝監督が選択したのは、バーチャルプロダクション技術のひとつ「インカメラVFX」でした。この記事ではカラリストの目線からインカメラVFXを活用してそれらのハードルを乗り越えるために、どのような挑戦をしたのかくわしくご紹介します。

Huluオリジナル『十角館の殺人』

Huluで全5話独占配信中
原作:綾辻行人『十角館の殺人』(講談社文庫)
製作著作:日本テレビ

全世界シリーズ累計670万部の大ベストセラー
綾辻行人の傑作ミステリー小説
“あの1行”で全てを覆す、驚愕の結末
まさかの実写化

©綾辻行人/講談社 ©NTV

事例紹介記事

インカメラVFXを効果的に活用した映像化への取り組みを前後編の2回に分けて、内片監督と弊社スタッフによる対談形式でご紹介しています。

Huluドラマ『十角館の殺人』にフル活用されたインカメラVFXの可能性
(前編)https://www.imagica-ems.co.jp/case-study/hulu-jukkakukan_part1_240322/
(後編)https://www.imagica-ems.co.jp/case-study/hulu-jukkakukan_part2_240329/

インカメラVFXとは

実際に被写体を撮影するカメラの位置情報に合わせてバーチャル空間のカメラをリアルタイムに同期させることで、そのバーチャルカメラが映し出すCG空間の背景と出演者を一緒に撮影することができる手法です。
背景に大型LEDパネルを使用し、天井や側面からのLEDライティング、ライブカメラトラッキング、リアルタイムCGレンダリングといった技術を組み合わせ、撮影現場の段階でCGと実写の合成を実現します。
大規模な美術セットを建てる必要が無くなり、ロケ地の天候や時間、交通や撮影場所の規制といった制約に左右されることなく撮影を行うことができます。そしてグリーンバック撮影ではマスク作成が難しいボケ足や色被りの調整も心配ありません。

ただ、実際には背景とその手前にある被写体が同じ世界に居るように見せるための細かな調整が必要で、一筋縄では行きません。

挑戦①:黒浮き問題の解決

弊社がインカメラVFX技術を用いたドラマ撮影に携わるのは、本作が初めての試みでした。

このプロジェクトでは、弊社のVFXチーム、カラリストチームとドラマの撮影クルー、そしてバーチャルプロダクション環境を有する株式会社ニコンクリエイツ様との共同作業で進められ、それぞれのチームがカメラテストを重ねながら連携度を高めていきました。

撮影を進める中でまず一つの大きな問題点に直面しました。スタジオ内の照明の影響によって「黒が浮いて締まらない」という現象です。

特に昼の野外のシーンでは太陽光を現場で再現するため、明るいライトを使用します。その光がスタジオ内のあらゆるものに乱反射して背面のLEDパネルに影響し「黒が浮いて締まらない」状態となってしまうのです。

その問題を解決するため、まず撮影部がCG背景を考慮した芝居場所・カメラレンズの選定を行い、それと並行して照明部がLEDパネルへの影響が少ない照明の位置取りをして、パネル方向への光を遮蔽します。

LEDパネルへの影響が少ない位置を確認している様子

それでもLEDパネルに光が漏れてパネルの暗部が浮いてくるため、被写体にも柔らかい光を当てて、グレーディングでCGと被写体両方の暗部を締めることで、最終的なコントラストは維持しつつ被写体と背景が馴染むようにしました。

VFXチームはリアルタイム3DCG制作ツールUnrealEngineで作成した背景映像のライト設定や太陽の位置などのバランス調整を行い、それを受けてカラリストチームがLEDコントローラーを駆使し、パネルに出力される背景CGの色調を更に追い込みます。

また、天井パネルの照度を上げすぎるとLEDパネルが顕著に黒浮きするため、天井パネルの照明強度を部分的に下げて、被写体への照明効果と黒浮き回避との両立を目指しました。

グレーディング済み(手前)とグレーディング未反映(奥)の現場モニター。現場でどのモニターに、どの状態の画を出力するかという設計もカラリスト主導で行いました

このように、課題を共有しながらそれぞれのチームがその場で連携し、試行錯誤した結果、「黒の浮き」が馴染んだ状態の映像を作り上げていくことができました。

挑戦②:フォトリアルな背景にするために

LEDパネルへCGをリアルタイム出力するためには、UnrealEngineなどのゲームエンジンの運用が必須となります。

UnrealEngineはゲーム制作においてはクオリティの高い映像を表現することができますが、実写ドラマで求められるフォトリアルな映像を制作するには、3DCG空間の光の環境をよりシビアに設計しなければなりません。CGのクオリティによってドラマへの没入感を阻害しないように、またポスプロではなくインカメラVFXを行うメリットを最大限に活かせるように、スムーズな動きを実現する「フォトリアルでありながら軽くて扱いやすいアセット」を模索する必要がありました。

本作品の3DCG背景は、物語の舞台である十角館をはじめ合計7アセットをVFXチームで約3か月かけて制作しています。
まず準備段階として、撮影現場とCG上での環境設計をしっかり行うために、カラーチャートを用いながら色や明るさなどのルックを合わせ、実写とCGをなじませる作業を丁寧に行いました。普段のポスプロVFX作業でも行う工程ではありますが、インカメラVFXでは限られた時間の撮影中に画を完成させた状態にしなければならないため、いつも以上に事前準備を入念に行う必要がありました。

思い出深いシーンのひとつに、洞窟の中を撮影するシーンがあります。撮影時、「実際の洞窟を撮影する時のライティング方法」について、照明部の方から具体的なアドバイスをいただきました。
Unreal Engineを使用していたことから、撮影現場で即座にライティングの調整を行うことができ、リアリティと馴染みを追求した洞窟の映像を創り出すことができました。

洞窟シーンの撮影を準備している様子。照明部から実際の撮影時のライティング方法について「どの辺りに艶を入れるか」など具体的なアドバイスをいただき、Unreal Engineにてその場で反映することができました

また、リアルタイムプレビューに伴い、現場でマシンにできるだけ負荷をかけないようにする必要もありました。
フルCGで作成した森の中や海上のシーンが登場しますが、揺れ動く木々や波しぶきなど動きのあるオブジェクトを多数扱う際にはカクツキが発生しないよう、再生フレームレートとの兼ね合いにも十分注意を払う必要がありました。CG上であらかじめライト構成をレンダリングしておくことでリアルタイム処理を軽くするなど、プリビズやカメラテストで見つかった課題は事前に対処して、映像品質と同時に技術的なバージョンアップも重ねていきました。
このような試行錯誤の結果、クオリティを担保しながら演出表現に寄り添ったCG背景を作り上げることができました。
UnrealEngineをはじめとしたゲームエンジンでの表現技術も日々進化し続けていますが、我々の得意とする実写映像作品でフォトリアルなレベルのものを取り扱うには、今後も発展的な探究と工夫が求められています。

挑戦③:LEDの調整とオンセットグレーディング

撮影前には弊社カラーイメージングエンジニアの長谷川が背景LEDパネルのテスト撮影と計測・解析を実施し、カメラに適した出力特性を導きました。(※関連記事1

大型LEDディスプレイの青の発色を測定中

実際に解析結果を反映していくと、LEDを撮影するということは、通常の撮影とは違うということを実感しました。

人の目とカメラのセンサーでは色・明るさを認識する仕組みが異なるため、実際の撮影現場でLEDパネルと被写体が合っているように見えても、カメラを通した映像では色味が合っていない状態となります。
それを解決するために、カメラを優先させた補正データを作成し、そのデータを元にカラリストがLEDパネルの出力を補正することで、細かな調整をしていきました。
そうすることで、逆に撮影現場では人の目で見ると背景と被写体が合っていない状態でも、撮影された映像では馴染んだ状態となります。

また、シーンによっては被写体に当てられるライトの色温度や強度の影響を受け、補正を行っても背景と被写体の色味が合わない問題も発生しました。
そこで、現場のライティング状況に応じて、パネルの輝度、色温度、彩度、色域を柔軟に調整していきます。今回は左右と天井に設置されているパネルを照明として使用したので、そちらも並行して調整しています。
この作業は照明作りと密接に関わってくるため、本作品の照明技師である宮脇正樹氏と常にコミュニケーションを取りながら現場で画を作り上げていきました。

本作品では、カラリストがオンセットグレーディング(※関連記事2)も行っています。DaVinci ResolveのLive Grade機能を活用しリアルタイム調整した映像を現場モニターに出力して確認できるようにしました。

現場でグレーディングを行うことで、NDフィルターの切り替え無しに露出を細かく調整し、色温度も即座に変更できるようになります。さらに、青い照明の下でもフェイスの色調を暖色系に保つ、または画の特定の領域を暗くするなど、照明の補助として緻密な調整が行えます。これにより、精度の高いモニタリングが実現しました。

照明宮脇氏とやり取りでLEDパネルを調整しつつ、オンセットグレーディングを行っている様子

LEDコントローラーによる前景と背景CGの馴染みから、DaVinci Resolveによる最終ルックの調整までを担当カラリストが包括的にコントロールすることで、より最終形に近い映像を撮影クルーと共有することができ、後のグレーディング作業に向けての共通認識も深めていきました。

おわりに

内片監督は撮影後「実は背景のCGが本番に求めていた方向性と違うシーンがあって、そこは撮影にとても苦労しました。インカメラVFXをやるということは、CGだけどポスプロではなく撮影現場が本番なので、CGアセットの制作段階から撮影方法・照明を監督としてもしっかりと考えて作り込んでいくという段取りが必要なんだと思いました。現場での見せ方と擦り合わせながら作り上げていければ、さらに良く出来たと思う。今回で学んだことを活かせば、次はもっと上手くいきそうな気がします。」と、フローの改善点をあげられています。

今後、この技術はさらに進化して、より多くの制作現場で活用されていくと思います。インカメラVFXは、今まで表現できなかった映像制作を可能にし、作品のクオリティをさらに向上させることで、観客に奥行きのある映像体験を提供できる技術だと感じました。このプロジェクトでの経験で、バーチャルプロダクション技術のさらなる発展にカラリストとして果たす役割が大きいことを実感しました。

文:則兼 智志(カラリスト)
VFXパート技術協力:古橋 由衣(VFXスーパーバイザー)

バーチャルプロダクションについての取り組み